「頑張り」や「やりがい」を相手に強要するべきではない
2014年9月4日
「頑張れ」「やりがい」という言葉の無意味さ
僕は、「頑張れ」「やりがい」という言葉が嫌いだ。
本気で憎んでいると言っても過言ではない。
何故そこまで嫌っているのかというと、これらの言葉は実質まったく意味が無く、何の為にもならないからだ。 そして、実際にこの言葉で苦しんできた。
「頑張れ」という言葉が嫌いになった
「頑張れ」について述べると、例えば、企業で働いている時に、よく無茶な仕事(「技術的に厳しい難題」や「残業前提の要求」)を振られる。
そして、従業員が参っている時に、社長や上司が「がんばるんだよ」「とにかくがんばれ」などと言ってくる。
しかし、そういう時に僕が本当に必要としているのは、「仕事の具体的な処理方法やマニュアル」であり、「休憩時間や休日」である。
こんな言葉をかけられても、具体的に「何を」「どのように」頑張ればいいのかさっぱりわからない。
しかも、この言葉を使う人は、何か意味のあることを言った気になって、得意気になっている事が多い。
他にも、解決策を提示できないから、どうとでもとらえられる「頑張れ」という言葉でごまかす場合もある。
さらに、日本でこの言葉は、励ましの言葉として、市民権を得てしまっている。
「頑張れ」を相手に言う時、自分にも相手にも、まったく意味がなく、為になっていない。 こういった事情で、僕は「頑張る」「頑張れ」という言葉が嫌いになった。
多用されるようになった「やりがい」
次に、「やりがい」について。 これは、最近よく話題になっている。
賃金が非常に低い企業に勤めている従業員に対して、残業代や社会保険料を払わない事を正当化するために使われやすい。
「(賃金は安いんだけれど)君らにはやりがいのある仕事をやらせてあげているんだよ」というわけだ。
しかし、賃金が生活を脅かす程低い場合に、やりがいを感じている余裕などあるわけがない。
ビジネス向けSNSを展開する米LinkedIn(リンクトイン)の調査によると、仕事のやりがいは日本が世界で最下位だ。
(仕事のやりがい、日本が世界最下位に(人民網日本語版))
上記の調査によると、日本の仕事に対する意欲は、わずか7%しかないそうだ。
日本は、やりがいを重視している国のはずだ。
それにも関わらず、このような結果になっている。
そもそも、金を稼ぐ為に働いているのだから、賃金の高さがそのままやりがいにつながるはずだ。
低い賃金では、やりがいなど感じられるはずがない。
「低い賃金で仕事にやりがいを感じている人は、経営者に騙されているのではないか?」とすら僕は思っている。
「頑張り」「やりがい」は与えられるものではない
僕は、「頑張り」「やりがい」自体を否定しているわけではない。
例えば、志望校に合格する為に頑張る事は重要だと思うし、仕事が面白ければやりがいを感じるだろう。
だが、「頑張り」や「やりがい」は、自分自身の感情として、自然にわきあがるものであって、他人から与えられるものではないはずだ。
僕が、「頑張る」かどうかは自分で決めたいし、「やりがい」を他人から貰いたくはない。
これらは、本来良い言葉であったはずだ。 それが、無意味に多用されるようになり、価値がおとしめられ、陳腐になってしまったと感じる。
僕は、「頑張れ」「やりがい」という言葉を多用する人を信用しない。